やめられまへん!! 投げ釣りはっ【オッサンの気ままな釣り日記編】No.9

やめられまへん9-20

『関西のつり』誌で戦友だった
S君を想い偲べば…

昨夏、『関西のつり』誌で戦友だったS君が急逝しました。今回は、長年ともに歩んできたS君を偲んで綴った「惜別の情」を発表させていただきます。僕や仲間が抱く想いが天国の彼へ届くことを祈って…

(文:中本嗣通)

昨夏、現在は休刊になっている月刊『関西のつり』誌で僕の担当を務めていた元編集長のS君が急逝しました。就寝中に急性の心不全を起こして亡くなったそうですが、その顔はまさに寝顔そのものの安らかさでした。

僕はお通夜と告別式に出席させてもらいました。お通夜にて棺の中に横たわる彼の顔を見ても実感がわかずに戸惑いましたが、一緒に出席したYさんが漏らした大きな嗚咽を聞き、僕の弟分であるI君と、S君の親友であるM君の泣き顔を見ると彼のとぼけた笑顔とは二度と会えないことを実感し、まるで堰を切ったように大粒の涙があふれてきました。

そして、お通夜から帰ってからS君を想い偲んで下記の文章を深夜に綴り、パソコンのフォルダ内の奥深くに仕舞い込んだのでありました。しかし、いつの間にか月日が流れ、このたびS君の奥様にも承認をいただいたことから僕がS君に抱く「惜別の情」を綴った文章を発表したいと思います。奇しくもS君との絆になった月刊『関西のつり』誌とつながる『関西のつりWeb』で連載する「やめられまへん!!」にアップすることで、僕や仲間が抱く想いが天国の彼へ届くことを祈りながら…。

S君への惜別の情

2017年9月2日(土)、23:10 に綴る。

先日、友が逝きました。
彼は、僕の戦友でした。
紛れもなく、僕の大事な戦友の1人でした。

今年(2017年)の3月、釣り雑誌の取材で南紀・串本大島の「磯投げカワハギ」で竿を並べたのが彼との最後の釣行となり、首尾よく尺上カワハギが上がったときの彼の笑顔がビジュアル的な最後の思い出になってしまいました。また、亡くなる2週間ほど前に、他愛もない話題で彼に電話したのが最後のコンタクトでした。こんな事態になるのがわかっていれば、もっともっと、もっと彼とイロイロな話をしておけばよかったかな…。

彼とのお付き合いは、彼が岳洋社で新入社員の若者だった1980年代後半から約30年間。『関西のつり』の巻頭企画の取材で西日本の釣り場を2人で駆け巡ったのは、ミシェル・ド・ノストラダムスが終末予言をした1999年でした。

「アンゴルモアの大王が甦ったら、どないしょ?」
「僕にとっては、ノストラダムスよりもやたらと原稿の遅い中本さんの方が〝恐怖の大王〟ですわ

そんなシャレのきいた彼の返し言葉が今ではホンマに懐かしおますわ…。

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現在は立派な社会人である愚息が幼稚園児だったころに連れて行ったFショーの関つりブースで、若き日のS君に顔面パンチを入れている思い出深いシュールなショットでんな。

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これもFショーの関つりブースでの1枚。おそらく10年以上前のショットだと思うが、お互いケッコウエエ歳のオッサンになってからの写真ですわ。

ときにはこんなこともありました。

方向音痴の彼が西と東を間違い、四国・愛媛の松山道を逆方向へ走って渡船の始発時間に遅刻したり…。

彼の愛車だった「愛称:カロゴン(カローラワゴン)」を、道と見間違えた西宮市の某マンションの植え込みの中へと走らせる暴走運転をしたり…。

境水道の旅館では2人で狭い湯船に入り、男同士の肌と肌が触れ合ってお互いに「お前、気色わるいわ!!」を連発したり…。

30年近くの年月で作られた彼との楽しい思い出は尽きません。

最近は年に4~5回ほどしか会う機会がなかったけれど、5歳も年下のくせに〝釣りと世の中〟の物事への変な精通ぶりにはいつも感心させられていました。中でも、マンガ本の知識、サンダーバードや円谷特撮の知識、プラモデルの知識は互角に論議できるだけのオタクでした。

そして、2005年に関西のつりの別冊として出版された僕の著書『爆釣!! 投げ釣り塾』ではメインエディターとして、まるで「国際救助隊」のように頼もしく僕をヘルプしてくれことが昨日のことのように思い出されます。

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S君と2人で苦労して作った別冊関西のつりNo.71『中本嗣通の爆釣!! 投げ釣り塾』。締め切りに追われて四苦八苦する中、彼の多大なる協力を得て完成へとこぎつけた著書でんねんわ…。

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彼が長年にわたって編集者、編集長を務めた月刊『関西のつり』で僕が表紙になった号です。残念ながら2016年5月号で休刊となりましたが、現在はこうしてWebマガジンとして見事に復活!! その中で彼への最後の想いを発表できたんですから「縁は異なもの」でんな…。

ホンマ、語り出したらキリがおまへんが、彼との出会いが僕の人生に与えた影響は小さくないのは確かです。決してハンサムや男前の類ではなかったけれど、誰よりもクレーバーで優秀な頭脳を持ち、僕のパッとしない稚拙な駄文を洒落っ気のきいた文章へかえる「魔法」のような構成力や添削力は、きっと他の誰にも真似ができない素晴らしい才能だったに違いありません。そんな他人様よりも優れた才能を持っていた彼だけに、あらかじめ短い人生を神様に決められていたのかも…。

でも、もう少し、もう少しだけ一緒にカレイやキス、カワハギやコロダイを狙う投げ釣行の取材で、彼と他愛もないウダ話を交わし、大声で笑いながら同じ時間を共有したかった。イヤ、できるならば60歳を超えても、70歳になっても…。

愛すべき彼は戦友だった。
紛れもなく、僕の大切な戦友だった…。

そんな彼の冥福を祈って、合掌。

【中本嗣通プロフィール】

1959年に北河内で産湯につかり、中学1年生から投げ釣りオンリーで釣歴を重ねる。『関西のつり』誌の愛読歴は43年、執筆歴は28年を数え、まさに関つりと共に人生を歩む。「口上は一流、釣技は二流、釣果は三流」が座右の銘でんねんわ 投釣倶楽部大阪会長。

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