海における聖域の重要性 ~魚資源に関する考察~|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2014》 | SWマガジンweb | 海のルアーマンのための総合情報メディア - Part 2

海における聖域の重要性 ~魚資源に関する考察~|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2014》

漁業者がいう「根を切る」とは…

聖域という言葉には人間が定めた保護区的な意味があることを先に述べたが、この言葉にはもうひとつ意味がある。それは我々人間が定めた保護区ではなく、私たち人間の手が届かない領域という意味である。たとえば水深10000㍍以上の深海は、深海探査船が潜るまで人類が到達したことはなかった。人類が行きたくても行けない場所、それが野生動物にとっての聖域である。昔なら淡水ではアマゾンやカナダの荒野、あるいは海ならアフリカや南アメリカ、カナダ、もしくは南海の孤島など人跡未踏な場所にある海はほぼすべて聖域であった。

しかし、交通インフラが発達した現代では、この地球上でお金を出しても行けないところは戦場くらいになったのではないだろうか。世界一のお金持ちが釣り人なら、おそらく地球上のどこへでも行って釣りすることが可能だろう。そういう意味で釣りの聖域はもはやこの地球上からは失われようとしている。

ただ、水平方向へはそうだが、最後の聖域といえるところはまだある。それは深い海である。深い海へ行くことも現代ではこれまたお金さえあれば可能だが、こと魚を釣るということでいえば深海はまだ聖域であると同時にフロンティア(最前線)である。

しかし、最近はタックルと技術の向上によって深海の魚たちも手に届くものになってきた。以前なら物干し竿のようなロッドにバケツのような電動リールでしか手が届かなかったものが、今では極めてライトなタックルでチャレンジできる。それによってこれまで釣れなかった魚たちが次々と釣り上げられている。釣り人としてこれまで釣れなかった深さの魚を釣ることができたり、新しい魚種を釣ることができればこれ以上にワクワクすることはない。

ただ、一方で一抹の不安を感じているのはおそらく私だけではないだろう。昔から漁業者の間では「根を切る」という言葉がある。特定の魚や貝などを徹底的に取ってしまうと、最後に木でいえば根まで切ってしまうということになるということである。木は根がなければ育たない。たとえばミカンの木にミカンがなり、私たちはそのミカンを収穫する。ただ、1個のミカンを収穫するためには地中から栄養を吸い上げる根があり、太陽から光を得る葉があり、葉を支える枝があってこそである。そうして初めてそこにミカンが実るのである。ところが欲に駆られて実(=ミカン)だけでは物足りず、それを支える葉っぱや枝や根まで刈り取ってしまえばミカンは実らなくなる。

これまで私たちの手が届かなかった物理的聖域は、実はこの枝や根っこにあたる。私たち釣り人が魚を継続的に釣り上げるには、資源が継続的に供給される必要がある。今までは手つかずの場所がその減った分を供給してくれていたのである。しかし、そこに手が入ってしまうと、資源は供給源のない状態に陥ってしまう。

釣りエッセイ・魚資源3
供給源を維持するためにも、踏み入ってはいけない領域があるのではないだろうか…。

もっと短期の分かりやすい例でいうと、日本沿岸各地で釣れるメッキである。メッキはロウニンアジやギンガメアジ・カスミアジなどの幼魚の総称だが、彼らは日本各地の沿岸で生まれるのではない。成熟個体のほとんどは沖縄から南の暖かい熱帯の海に住んでおり、日本沿岸に現われるものはそのあたりで生まれるのである。そして、春から夏にかけて卵や稚魚という形で海流に乗って北上し、釣りの対象となる大きさとなるころに日本沿岸に到達し、私たちの目に触れるようになる。

彼らは冬になると南の海に帰ることなく死んでしまうとされているので一方通行の資源供給であるが、南の海に供給源がある限り我々釣り人が各地でメッキ釣りを楽しんでも資源が途絶えることはない。しかしながら、もし南の海で資源が乱獲されれば、日本沿岸のメッキはたちどころにいなくなってしまうだろう。これと同じ現象が2014年の日本沿岸で起きた。それはカツオ漁である。

フロンティア精神が手放しでもてはやされない時代に…

和歌山県あたりの港はカツオ漁で生きているところが少なくない。和歌山のカツオはケンケン漁と呼ばれる一種のトローリング漁法で取られるが、2014年の漁獲は前年の20分の1以下という過去最低の量となった。これは和歌山だけでなく、カツオの産地である宮崎や高知も同様で、いずこも過去最低水準の極端な不漁となった。

この原因としてはいくつかあげられている。水温が異常でカツオが沿岸に寄りつかなかった、南の海で巻き網で小型魚が乱獲されているからなどの理由が考えられているが、その中で信憑性が高いとされているのが南海での小型魚の乱獲である。

かつては魚をよく食べる国は日本などに限られたが、今は魚が世界的に広く食べられるようになった。また、開発途上国といわれた国々が近代化を果たし、生活水準が向上して世界に食糧獲得に出てくるようになった。胃袋が大きくなれば必然的に資源は少なくなる。これまで南の海の小型のカツオは商品にならないことで取られない、いわば聖地であったわけだが、ここにきてそこに手が入った。根っこのところで魚をたくさん取ればどうなるか。今のカツオ漁の極端な不振がこれを物語っているように思う。

これからは漁業者だけでなく、釣り人にも節度ある行動が求められる。フロンティア精神は尊敬するが、それが手放しでもてはやされる時代は釣りの世界でももはや終わったような気がしてならない。

釣りエッセイ・魚資源4
今後も末長く釣りを楽しんでいくには、いろいろと考えなければならないことが…。

【宇井晋介・プロフィール】

幼いころから南紀の海と釣りに親しみ、北里大学水産学部水産増殖学科を卒業後、株式会社串本海中公園センターに入社。同公園の館長を務めた海と魚のエキスパート。現在は串本町観光協会の事務局長としてその手腕を振るっている。また、多くの激務をかかえながらもSWゲームのパイオニアとして「釣り竿という道具を使って自然に溶け込む」というスタンスで磯のヒラスズキ狙いやマイボートでのおかず釣りを楽しんでいる。

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