海における聖域の重要性 ~魚資源に関する考察~|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2014》

釣りエッセイ・魚資源1

フロンティア精神は尊敬するが、資源が減少している現状を踏まえると、手放しでもてはやされる時代は終わったように思う。魚にとっても聖域は不可欠だから…

文:宇井晋介

※このエッセイはSWマガジン2014年11月号に掲載されたものです。

動物の聖域

ひと昔前に「聖域なき構造改革」というのをぶち上げた政治家がいた。聖域、英語でいうとサンクチュアリー。本来は聖人の域、神がいる場所、あるいは中世ヨーロッパなどで国家や王の権力が及ばないとされた教会の治める領域など宗教にまつわる領域のことらしいが、動物の聖域というものがある。

それは動物たちが生きており、保護される場所のことである。バードサンクチュアリーという言葉を聞いたことのある人も多いと思う。動物保護区と訳すこともできる。

今、世界中に動物保護区が作られているが、それは世界中で動物が危機にさらされているからである。そして、その多くが私たち人間の生活によって減少している。

私たち人間は食物連鎖の最高位に位置する。このためすべての生き物は私たち人間の支配下にあるといってよい。すなわち私たち人間はすべての動物・植物を欲望のままに搾取することが可能なのだ。そのとりとめもない自らの欲望を抑制・規制するために聖域、サンクチュアリーを人間は作ったのである。これは人間には欲望と同時にそれを抑制する理性もあることを証明する。

しかし、こと海に関する限りそれはまだ十分とはいえない。たとえばカモやハクチョウなどの水鳥ではその餌場はラムサール条約という国際条約で登録湿地として登録され、利用する一方で守られている。世界のあちこちに見られる国立公園なども同様だ。公園内の開発や動植物の採取は法律で規制されている。ところが海の中はこの規制が極めて緩い。日本では魚などの採取に関しては各都道府県毎に条例があって規制されている。とはいうものの、漁業との関係もあるのでその規制は緩やかである。その証拠にこれをお読みのアングラーのみなさんで、海で魚を釣っていて警察にしょっ引かれたという経験をお持ちならよほど特別なことをした(つまりは条例に背いて違法行為=密漁を働いた)方しかいないはずである。

基本的に日本では、海で釣りをしてはいけないというところはない。もっとも工場の敷地や埠頭など個人の敷地であったり、作業場所で危険なところは立ち入り禁止となっているところはあるが、釣り行為をしてはいけないというところは基本的にないのだ。カナダなどの一部の外国では釣りをするのにライセンスがいるところがあり、日本でも内水面ではアユやマス類、サケ類などにはライセンス制が導入されている。しかし、こと海に関する限り、それは皆無に近い。

これは釣り人にとっては大変ありがたいことであると同時に、一歩間違えば怖いことであるともいえる。いかに海が広大であってもその広さには限りがあり、当然そこに住む生き物にも限りがあるからである。だから無制限に釣りを続ければいずれ魚はいなくなる。釣りをどこでもできるのはうれしいことだが、過ぎればそれは釣り人にとっても悲しいことになる。

釣りエッセイ・魚資源2
日本は釣りを楽しむうえでありがたい環境といえるが、資源には限りがあるということを忘れてはならない。

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