野生動物である魚にとっての餌とは?|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2013》
餌付けによって魚の生活や性質はかわるのか?
最近、カツオやマグロの釣り方がかわった。カツオやマグロは本来は小魚を追って大洋上を回遊しているが、なぜかどちらも普段はあまり食べないであろう沖アミが大好きである。カツオやキハダマグロの完全フカセ釣りが最近流行っているが、この釣り方も沖アミをパラパラと間断なく撒きながら、その中にハリのついた餌を流し込んでいくという釣り方である。そうすると、沖アミに狂ったカツオやキハダマグロがハリのついた餌を疑いもなく食うという寸法で、この釣り方で釣れ出すと、本来の釣り方であるケンケン漁という引き縄漁(ルアー釣り)やルアーでのキャスティングでは釣れなくなる。
つまり本来の小魚を食うという食性を失ってしまうのである。また、それゆえに本来ならベイトフィッシュを追って季節とともに移動していく彼らが、いつまでたっても特定の釣り場から離れないということも起こる。これなどはまさに餌付けされた山のイノシシやタヌキ、サルに等しい。
釣り餌の影響で魚の味が…
では、餌付けした魚による弊害は山の野生動物に比べてどうなのだろうか。人間との遭遇による事故というものは、魚の方がサメなど何らかの危険な大型魚でない限り、人間が被害を被ることはあり得ないだろう。むしろ人間(釣り人)にとって大きな魚と遭遇できる機会ができることは好ましいことである。実際、魚を特定の場所にとどめるために定期的に大量の撒き餌を使って餌付けする手法は「飼い付け」という漁法の一環で昔から行なわれていた。私が住む和歌山県串本町の潮岬などでは飼い付けで集まったブリを釣る漁はかつて年末年始の風物詩であった。
では、魚にとってはどうだろう。食べ物が容易に手に入ることによって彼らの食性が変化するのは、先に述べたカツオやマグロの例で明らかである。ただ違うのは、餌が容易に手に入るからといって、彼らの種としての行動がそっくり変化してしまうことはないことである。
その理由はまずその資源量がサルやタヌキといった里山近くに住む野生動物と比べて桁外れに多いことである。また、その行動範囲も人里近くに出没することが多い動物と比べて圧倒的に広い。カツオやマグロなどは国境など軽々と越えて地球半分ほども移動するし、あまり活発な活動をしない魚たちといえども、その行動範囲は里山の動物たちとは比べものにならないほど広い。
だから人間が与える餌に一時的に惑わされたとしても、それを理由にずっと住みついてしまったりすることは特殊な例を除いてほとんどないといっていい。人間が与える程度の量の餌では、広大な海に住む野生の魚たちの性質を根本的にかえたり、長くとどめておいたりすることは難しいのである。よって撒き餌という餌付けによって、魚の生活や性質がすっかりかわってしまうことはほぼあり得ないことのように思う。
ただ、人気釣り場の磯際の魚たちは毎日毎日沖アミを食べていることから、ときには偏った食事のために病気になったりするものもあるという。また、魚の味そのものが釣り餌の影響で本来の味ではなくなっているとの話も聞く。
食べておいしいか、おいしくないかは好みの問題でもあろうが、撒き餌によって本来の味ではなくなっている魚たちもたくさんいると思われるのが、グローバル化した今のニホンの海の現状なのである。
【宇井晋介・プロフィール】
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