釣りとコロナ|【知っていたからって釣れるわけじゃないけれど… その4】

釣り・コロナウイルス1

将来的に普通の穏やかな人々の心の中に、エゴイスティックな釣り人の姿が刻まれることは絶対に避けなくてはならない。嵐のあと、いつもとかわらぬ釣り場と、笑顔で迎えてくれる人たちがそこにいる。そんな日常を取り戻すために…

文:宇井晋介

コロナウイルス感染拡大を受けて…

この原稿を書いている今、コロナウイルスと人類の戦いは始まったばかりである。全国に非常事態宣言が出され、街は静まり返り、全国民がマスクをして無表情に歩く。咳でもしようものなら、回りの皆がまるでばい菌でも見るようにいっせいにこちらを向く。ほんの半年前、誰がこの状態を想像しえたであろうか。

聞いた話では、このウイルスはコウモリなどの野生動物から人間に感染したもののようだ。それが昔なら、外国のどこかの町の風土病で終わっていたであろうものが、わずか半年で地球上のすべての人類の居住地に広がった。すでに現時点で、世界で320万人が感染し、22万人が亡くなっている。これからもまだまだ感染は広がり、おそらく世界で天文学的な数の人がこの世から消えるのだろう。かくいう私も、もしかしたらその一人となるかもしれない。

パンデミックという言葉は、学者の間では相当前から危惧されていたといわれ、私自身もSF映画で見たことはあったが、まさか実際に自分が生きているうちに目にするとは思わなかった。

釣り・コロナウイルス2
ついこの間までは当たり前に好きな釣りを楽しんでいた我々釣り人だが…。

正体のよく分からないものに対する恐怖

コロナ騒ぎが始まってから、釣り人も否応なくこの騒ぎに巻き込まれてしまった。まず、普段の生活を奪われてしまった人。テレワークを余儀なくされている人。経済がストップし、仕事が減った、あるいはなくなった人。店の売り上げが大きく下がった、釣りどころではないという声があちこちで聞かれる。田舎の住人からは、コロナの怖さが伝わるにつれ、都会から釣りにこないでという声が上がった。それが日増しに大きくなり、やがてそれは「遠慮して」から「こないで」、最後に「くるな」にかわった。

こうした動きに対し、反論も少なくない。釣り人の中には、釣り場には人が少ないのでソーシャルディスタンスは十分とれる、他の人に出会わずに釣り場にも行ける、第一釣りは個人の楽しみ、他の人に迷惑をかけなければ、自由であるべき、文句をいわれる筋合いはないという人も少なくない。

確かに釣りは極めて個人完結型の趣味。誰とも接触しなくても、それはそれで十分に楽しむことができる。私も釣り人のはしくれだから、釣りの楽しさは十分承知をしているし、釣り人の自由は尊重されるべきものだと思う。ただ、田舎はのどかで釣り場もたくさんあり、釣り人にとっては楽園だが、一方でそこは高齢化が進み、医療体制も十分ではない場所である。少ない住民のための医療施設は、わずか数人の感染者が出ただけで簡単に医療崩壊してしまう脆弱なものであることは意外に知られていない。

釣りをするしないは確かに個人の自由であるし、ライセンスなしでどこでも釣りができるのは日本の美点でもあるが、当たり前のことだがそれは釣り場周辺の住民の命と引きかえであっていいはずがない。すでに、奄美黄島では関東から訪れた釣り人から住民への感染が報じられている。石垣島でもすでに内地からウイルスが持ち込まれ、患者が出ている。

離島での発生による恐怖は、内地の比ではない。おそらく、現地では「釣り人」への住民感情が急速にわるくなっていることだろう。これまでは、どちらの島々でも外貨を持ってきてくれる釣り人はいいお客さんだったはずだ。しかし、今はほんのひと握りの無思慮な釣り人のために、いわゆる「釣り人」すべてが悪者にされている。

釣り・コロナウイルス3
緊張感が高まっている現在、ひと握りの無思慮な行動が大きな波紋を呼ぶ結果となってしまった。

私の住む串本でもこれまで釣り人はウェルカムの存在だったが、悲しいことに時間とともにそれは急速に変化してきている。釣り人がくる港は閉鎖され、止められた車に張り紙をする人さえいる。釣り人に露骨に白い眼を向ける人もいる。純朴な田舎の人たちの心に、恐ろしいほどのスピードで釣り人に代表される「外からの人」に対する敵意ができつつあるのを肌で感じる。人の心が日増しにすさんだものになっていくのが見て取れるのだ。

もっとも、それは田舎だけのものではない。宅配便の配達員に消毒液をかけた、病院職員の子供が学校で差別された例は枚挙にいとまがない。正体のよく分からないものに対する恐怖が、先の見えない状況も相まって、増幅し、人々を疑心暗鬼にする。これまでなら笑顔で迎えられていた釣り人が、そうではなくなる。

私はこの特殊な状況の中で将来的に普通の穏やかな人々の心の中に、そうしたエゴイスティックな釣り人の姿(釣り人がどう考えようが普通の人にはそう見える)が刻まれることを最も恐れる。ただでさえ、釣り人の社会的評価は低い。ゴミを捨てる、どこにでも車を止める、自分ばっかり。ただ、それがすべての釣り人に共通のものでないことは、これを読んでいる人なら誰でも知っている。しかし、一部の釣り人の心ない行ないが、すべての釣り人の評価となってしまっているのが悲しいかな現実なのだ。

釣りの自由は尊重されるべきだが、未来の釣りのためにも、そして釣り人としての良心にかけて、今は釣り場に出かけるときではないと私は考える。釣り場が締め切られ、釣りをする釣り人に常に住民の敵意ある眼が向けられるようになってから、後悔してももう遅いのだ。

釣り・コロナウイルス4
今は現実をしっかりと見つめ、未来のことを考えて判断すべきである。


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