ルアー釣りと餌釣りの間|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2012》
ルアー釣りに妙なステータスを覚えるのは餌釣りからルアー釣りに移ってきたアングラー特有の感情なのだろうか? ただ、ルアーがどんどん進化する現在、餌釣りとルアー釣りの境が不確かになっている現状があるから…
文:宇井晋介
※このエッセイはSWマガジン2012年3月号に掲載されたものです。
ルアーにおけるリアリティーと要素
先日、いつもお世話になっている釣り道具屋さんを訪れて驚いた。売り場がすっかりかわっていたのである。ルアーや餌木、すなわち「擬似餌」を売る面積がドーンと増え、他を圧倒していたのである。
店長に聞くとお客様のニーズに合わせてリニューアルしたのだという。見るとルアーは海用からバス用まで、ジグからプラグ、インチク、タイラバ、ワームなどあらゆるものが揃い、餌木もキャスティング用からティップランまでこれまた目が回るほどである。本来このあたりの釣りの中心であった磯釣りや船釣りは何だか影が薄い。
私が住む田舎でさえもこれだけのルアーや餌木が売れるという事実にびっくりするとともに、今の釣り業界にルアー釣りが占める割合の高さに今さらながら驚かされた。
昔のことを引き合いに出すと「年寄り」みたいに思われて嫌なのだが(笑)、私の子供のころはルアー釣りなんて聞いたことがなかった。私の身近にあったルアーといえば「イカ型」と呼んでいた餌木と、漁師たちがケンケンという引き縄漁、いわゆるトローリングに使う「頭」と呼ばれる擬似餌ぐらいであった。
当時の餌木は店でも売られていたが、多くの釣り人は自作していた。今のきらびやかな餌木とは異なり、木製(紀南ではハゼが多く使われていた)の削り出しで普通は背中がオレンジ色、腹が白のペンキで塗られていた。自然の生物とはまったく異なるこの奇抜な色合いがどうして選ばれたのかは分からないが、誰が作る餌木もだいたいそんな色で、しかも普通によく釣れた。今でも色は何でもいい、沈み方だという人がいるが、確かに当時の名人たちは色などまるで眼中にないようであった。しかし、沈むスピードにはやたらと研究熱心で、夕方に海岸で「スイムテスト」をしている人をよく見かけたものだ。
話が脱線したが、餌木以外でも今のルアーは恐ろしくリアルなものが多い。
私がルアー釣りを覚えたのはルアーが日本に普及しだした1970年代。そのころは製作技術が未熟であったこともあるが、どちらかというと本物の魚とは異なる色彩や形をしたものが少なくなかった。頭が赤く、後ろが白いレッドヘッドなどはこの時代のルアーの象徴である。レッドヘッドなどは今でも販売されているが、釣り場であまり見かけなくなったと思うのは私だけではないだろう。
ルアーには限りなく本物に似せるものと、逆に似ても似つかぬものにする2つの方法がある。ルアーは基本的に餌と間違って魚が食いつくことから限りなく本物に近づければ近づけるほど魚がよく釣れると思いがちだが、決してそうではない。色彩のことをいえばレッドヘッドなどが本物から遠ざかっている代表だし、バス釣りに使うスピナーベイトなんかはいったい何のイミテーションなのか理解しかねる。
しかし、それでも魚は釣れるわけだ。姿や色彩は自然とはかけ離れていても、魚の食欲中枢や闘争本能を刺激する何らかの要素がその中にあるのだろう。
我々人間でも、絵画でいえば限りなくリアリティーを追求した作品よりも、ピカソなどのようにものの「要素」を引っ張り出した絵画に感銘を受けることもある。それは理屈ではなく、どちらかといえば本能的直感に近いものかもしれない。そのあたりは魚も人間も同じなのであろう。
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