情報戦争と釣り|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2011》
正確性の向上によって…
先日、渡船店の知人から聞いた話である。今やどこの釣り船もホームページを持っており、それで情報をリアルタイムに流せるようになったのはいい。しかし、お客の入り方が昔と違ってめちゃくちゃシビアになったという。すなわち魚が釣れ出すとリアルタイムにお客から予約が入るのはよいのだが、逆に釣れなくなると一気にこなくなるというのである。以前ならまあ様子見でというお客がいたが、現在は「今釣れていない」とまったくこないという。
なるほど情報があまりにリアルタイムで正確なので、釣り人の期待や冒険心というものが入る隙がないのであろう。これはこれで嘆かわしいことである。本来、釣りは釣れるか釣れないかわからないという不確定の部分があるから、チャレンジ精神やパイオニア精神を刺激されてよりいっそう楽しいのである。釣れるとわかっていればそれは釣り堀の釣りと何らかわらない。
しかし、現実は悲しいかな明らかにそういう状況になってしまっているのである。
もう1つ危惧されるのが魚たちである。先に情報のリアルタイム化、正確性の向上によって釣り人と魚たちとの遭遇率がアップしていると書いたが、魚たちにとっては大変なことである。遭遇率が高くなるぶん仲間がどんどん減っていくのであるから将来の魚資源が心配になる。
魚の乱獲を防ぐためには…
釣りではないが、今世界的に問題となっているマグロ漁では最近は魚群の発見に飛行機が使われる。上空から発見した魚の位置と魚群の大きさという情報が正確に漁船に伝えられ、先回りした網船がぐるりと取り囲んで一網打尽にしてしまうのである。これによってマグロたちの数は激減しつつある。リアルタイムで正確な情報というのはそれだけ便利で有効なものであるが、反面、規則などの歯止めなしになると誠に怖いものである。
ところで、田舎に行くと今でもマツタケの取れる山があちこちにある。私の家の近くにもマツタケが取れるところがいくつもある。
マツタケは赤松の根元近くにしか生えない寄生性のキノコであって、その場所は極めて限定的。そして、毎年毎年同じ場所に生える。だからその場所を知っている人は誰にもいわない。たとえ親や兄弟であろうとその場所はいうなという言葉が今に残るぐらいである。一度情報が漏れてしまうと、その場所のマツタケがやがて絶えてしまうことを古人は知っていたのだろう。
釣り場にもそれはいえると思う。私は昔から釣り場はみんなのもの、だからその情報もみんなのもの、と思ってきた。釣り場の情報公開は当たり前だと。しかし、最近の情報の氾濫を見るにつけ、その考えがかわりつつある。もしかしたら、今まで魚たちを守ってきたのは、釣り人や漁師の秘匿性なのではないかと思うのである。
自分の見つけた釣り場を誰にも教えずにこっそりと釣る。自分だけが知っている場所でこっそりと人の目を盗んで釣るのは何だかずるくてわるいことのように考えてきたが、おそらく、いやそうした行為がむやみに魚たちが乱獲されるのを防いできたような気がするのである。
特に情報が昔のように口から口へというようなスローな移動をするのではなく、瞬時に世の中に拡散していく時代である。このため情報の露出は釣り場の荒廃を招きかねない。
もっとも、釣り場は誰のものでもなく公共のものである。だから独占することは許されないが、釣り場の情報公開はこれから先の時代には少しセーブした方がよいかもしれない。
自分たちのためにも魚たちのためにも。
ただし、友だちをなくさない範囲で(笑)。
【宇井晋介・プロフィール】
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