パイオニアの釈迦スタイル《PART3》
乱獲も過度の感情移入もNO
「若いころと比べて釣りのスタイルがどうかわりましたか?」と聞かれることは多い。しかし、残念ながら答えようがない。私のスタイルはほとんどかわっていないからである。
もともと朝な夕なに釣り場に通うほどの超がつくハードなアングラーではなかった。麻雀やパチンコなどの勝負ごとに弱い性格に通じているのか、あまり執着心がない。わるくいえば集中力や追求力に欠ける。とことん釣ってやるという「欲」がないのである。
だから、大型を1匹釣ったりすると、それで満足してしまって釣りが続かない。基本的に釣った魚が冷蔵庫に残っている間は行かない。仕事柄、休暇が少ないことも関係するが、そうしたスタイルでの釣行をずっと続けてきた。
ただ、お釈迦様と張り合うつもりはないが、悟り的なものは若いころから持っていた。
海中公園の職員として仕事をしていたころは、海の現状を調べること、それを子どもたちをはじめとする多くの人たちに伝えることが大きな比重を占めていた。そのために日々海について勉強し、釣りを含めてさまざまな体験をしている。そんな中で一番痛感するのは現在、海はこれまでに経験したことがないほど急速に衰えているということである。
私がヒラスズキゲームを本格的に始めた30年ほど前は先述のように80㌢オーバーが当たり前のように釣れていた。それが今では60~70㌢クラスが平均サイズだし、以前は釣れることのなかった小型の個体がよく見られる。一方、今から50年ほど前には80㌢クラスが同じ場所で10匹、20匹と釣れたという。しかも、リールさえ使わないシンプルなのべ竿の仕掛けでだ。
そりゃあ50年も前のことだから釣れて当然と思う方も少なくないだろう。しかし、ヒラスズキという種がこの地球上に登場したのは数万年、数十万年前どころではなく、もっとケタ違いに太古のことである。それが、たかだか50年でこれほど釣れなくなっているのだ。これは異常といえる事態である。
もちろん、それは人間の活動すべてのシワ寄せなのだろうが、アングラーも加担していることは間違いない。全体からすれば1匹が釣られることの影響は小さいように思えても、その1匹が海からいなくなることは事実だ。だから、私は冷蔵庫に魚が残っているうちは極力釣行しないし、釣っても持ち帰らない。
一方で、魚を減らさないためにすべてリリースする、という考え方にも同調しかねる。私は魚を食べるのも好きだし、本来釣りという遊びはハンティングであると思っている。だから、魚を単なるゲームのコマ扱いしたり、かわいい遊び相手というように極端な感情移入をするのも嫌なのだ。
最近は「サスティナブル」という言葉が流行している。「持続可能な」といった意味合いだろう。基本的に自分と家族が食べるぶんだけ自然からの恵みを受け取る「サスティナブル・フィッシング」。これが私の悟りであり、釣行スタイルといえる。
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