パイオニアの釈迦スタイル《PART4》
若いころから一貫しているのは、紅白(レッドヘッドカラー)を愛してやまないこと。ヒラスズキゲームではとにかく信頼できるルアーの存在が不可欠。そして、自分のルーツを忘れないためのこだわりを持つことが大切だと感じているから…
解説:島 佳隆
アングラーとしてのルーツ
私が初めてシーバスを釣ったのは高校1年生のとき。もう30年以上も前のことだ。当時は車やバイクの免許を持っていなかったため自転車で釣行していた。釣り上げたシーバスは漁港で拾った板に乗せ、自転車の荷台にくくりつけて持ち帰ったのを覚えている。
そのころ使用していたタックルはブラックバス用のベイトタックル。ルアーはラパラ・CDJ11(GFR)とダイワ・バルサミノーS(サバ)の2つ。それがSWルアーのスタートだった。しかし、高校生のころはSWオンリーというわけではなく、このころから私の住む和歌山市内の数個所の溜め池でブラックバスが釣れ始め、中学生のころから狙っていたライギョとともに淡水のルアー釣りがメインだった。
紀ノ川のライギョ釣りでは不便さも感じなかった自転車での釣行だが、行動範囲を広げようと思い、学校では禁止されていたバイク免許を高校2年の夏に取得した。これで行動範囲が広がるはずだったが、釣りよりもバイクで走り回ることがおもしろくなった。そんなこんなで1年間に2度も救急車に乗せていただくということを経て、再びルアー釣りに熱中することになった。
[spacer]その後、アルミボートを車に乗せ、池原ダムや七色ダム、琵琶湖などへブラックバスを追いかけだした。ただ、当時は一般的には冬場はシーズンオフとされており、その時期には紀北方面へシーバスを狙って釣行するようになった。
ウェーダーを履いて加太の地磯でシーバスを狙っていたとき、ドライスーツを着てハイテンポで次々とポイントを探っていく中井一誠氏と出会った。その姿を見たとき、効率のよさ、安全性の高さ、それにカッコよさに惚れた。私もすぐにドライスーツスタイルに変身したのはいうまでもない。
ただ、ドライスーツやウエットスーツを着用していれば絶対に大丈夫ということではない。そこは間違えてはいけない。十分過ぎる安全というのはないと思うが、その域に少しでも近づくためのひとつの予防線に過ぎないのだ。
私が使用しているドライスーツには多くの傷(擦れ、破れなど)がある。それだけ体を守ってくれているということだろう。初代、2代めと活躍したドライスーツではあるが、今では1人で着ることができず、着ても身動きが取れない体型になった自分が憎い‼ そろそろ3代めのドライスーツのデザインを考える時期かもしれない。
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