雑魚と呼ばれる魚たちの復権  ~里海資本主義~|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2014》

釣りエッセイ・雑魚・里山資本主義1

これまで注目されていなかった魚介類の有効利用。いわゆる雑魚と呼ばれる魚たちの復権を実現できれば…

文:宇井晋介

※このエッセイはSWマガジン2014年1月号に掲載されたものです。

里山資本主義とは?

「里海資本主義」とはなんぞや。これは私のオリジナルではない。正直にいえばパクリである。ただ一語入れかえてある。元の言葉は「里山資本主義」だ。実はよく売れた本のひとつである。書いたのはエコノミストの藻刈浩介氏。そして共著があの公共テレビN○○の広島放送局である。

では、里山資本主義とはいったい何なんだろうか。里山とは人家の近くにあって人が容易に入れ、昔は薪を取ったり小動物を捕えたりしていた、いわゆる裏山である。あの「ウサギ追いしかの山♪」を思い出すと何となくイメージが浮かぶ。

資本主義は今の我々がどっぷりと浸かっている競争原理に基づく社会制度で、「資本=お金が社会の基本」となり、これが利益を生んで社会が回るという制度である。何となくこの2つはまったく真逆のところにある言葉で、今の資本主義が成長したことによっていわゆる昔ながらの里山は消えてしまったような印象を持つ方も少なくないだろう。

では、この相反する2つの言葉をくっつけた「里山資本主義」とは何だろう。それは人間がずっと手を入れて管理し、育ててきた里山が持つ「眠れる資源」を見直してお金で買えない価値を見い出すと同時に、視点をかえて新しいビジネスを生み出したり、地域内に利益を循環させる仕組みを作ることで疲弊した地域を復興させようという考えである。それは最近流行のお金至上主義やグローバル経済のまったく逆をいくものである。

アマゴを追って山奥に入り、あちこちに放置された家の残骸を見かけた釣り師も多いだろう。確かに山川の景色は美しいが、そこには人の気配、里の気配がない。今、地方の山の中はどこもこの資本主義社会の未来の縮図をあらわしているようなところがある。心洗われる渓流が流れる山奥と、世界を股にかけたグローバル経済のどこに接点があるのかと思われるが、たとえば今の山村には仕事がない。あちこちで聞かれることであるが、それは木が売れないために林業が成り立たないからである。

では、今建っている家の木はどこからきているかというと、それは世界中から輸入されているのである。世界から安いいわゆる「外材」がくるので今の山村では林業が成り立たない。ではこれをどうかえていくのか。その例としてあげられているのが、木材の使い道である。そのひとつの例は次の通りである。

木材はそのまま燃料にすると薪になってせいぜい風呂を沸かす(もっとも薪でわかせる風呂はもう少ないが…)くらいしかできないが、この木材あるいは製材で出てくる利用価値のない端材を小さなチップにし、それをかためてペレットを作る。これを燃料として使う。このペレットは燃料として優秀なだけでなく、固形燃料のように扱うことができる。家に燃料タンクさえ据えつければ、ちょうど灯油などと同じようにまったく手間いらずで湯沸かしなどができる。灯油ボイラーならぬ木材ペレットボイラーである。

これによってこれまで外材に対抗すると値段で負けて売れなかった木材に新しい価値が生まれ、山村に新しい仕事が生まれる。おまけに発電などもできるので危険な原子力などへの依存が減らせる。また、大きなお金をかけて外国から輸入されてくる石油や木材を減らすことができる。つまり、田舎の中、日本の中でお金が循環し始めるのである。

これまで日本は資源なし国といわれ、化石燃料をはじめとするあらゆるものを外国から輸入してきた。ただ石油のようにもともとないものはしようがないが、木材や食品のように本来は自給できるのに、安い、便利だという市場原理で輸入が増加し、国内の生産ができなくなってしまったものがいくらもある。里山という本来日本人が使っていた山や田畑からあらためてこの眠れる資源を得る仕組みを作り出し、田舎を甦らせよう、それが里山資本主義なのだ。

最近は「脱原発=再生エネルギーの開発」が叫ばれているが、花形の風力発電や太陽光パネルだけでなく、実は緑に埋もれたあの渓流を取り巻く山々にもそのヒントは隠されているのだ。


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