魚が釣れない理由とされる「潮がわるい」とは?|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2013》
釣り人は釣れない理由を「潮がわるい」とよくいうが、これは実に的を射た表現であるといえる。また、海水の動きということでいえばコンベヤーベルトと呼ばれる深層海流が地球温暖化で止まりつつあるという。こちらは「潮がわるい」では済ませられない話であり…
文:宇井晋介
※このエッセイはSWマガジン2013年7月号に掲載されたものです。
釣れないときに便利ないいわけ
政治家の失言で世の中が揺れている。誰であろうと放言や失言のいいわけは聞き苦しいものであり、またいったん口から出てしまったものは、たとえ100の言葉を連ねてもそう簡単には取り繕えないものだとつくづく思う。
ところが、海釣りの世界には何とも便利ないいわけの言葉が存在する。それは「潮がわるい!!」である。これは魚が釣れなかったときのいいわけで最も便利かつ強力なひとことである。それをいわれると、聞く方も二の句が継げない。だから私も含め、釣れないときはついつい口から出てしまう。でも、よくよく考えると「潮がわるい」とは何とも便利だが、何とも掴みどころのない言葉である。
「潮がわるい」とは具体的にどんな場合なのだろうか。海に少し詳しい人なら「潮」には実にさまざまな意味があることを知っているだろう。1つは「潮時」や「潮位」で、2つは「潮流」で、つまり潮の流れ。そして3つめは「潮の中身」だ。
この潮の中身には水の濁りや水温、そして塩分濃度、溶存酸素まで実にさまざまな要素が含まれる。本当なら釣れないのは餌、あるいはルアーを食わない「魚がわるい」のだが、魚にやさしいアングラー諸氏はそれを魚の責任にしない。すべて魚を取り巻く潮のせいにする。私も含めて何とも心やさしき人種ではないか。いや、本音では魚の馬鹿たれといいたいのだが、そういうと逆にそれは魚じゃなくお前の腕がわるいからじゃないの、という反撃がある。だから誰にも異存がない「潮」のせいにしているというのがホントのところだろうが…。
潮汐とそれとはまったく関係のない海の流れ
それはさておき、潮とはまず「潮時」だ。一般に魚は上げ○分、下げ○分といわれるように、潮が満ちてくるときや引いていくとき、つまり「潮が動いている」ときが食いがよいとされる。一般的にはこれは海水が動くことによって水中に「かき混ぜ効果」が出て水中の溶存酸素が増え、魚の活性が上がるからだといわれる。また、潮の動きによって海底が攪拌され、プランクトンや有機物などが流れ始めるので、それを食べるさまざまな生き物たちが動き出すことも見逃せない。
当然プランクトンや有機物が流れ始めると、それを食べる小魚たちも活発に活動を始め、さらにそれを食べる大きな魚たちも活動を始めるというわけである。
魚以外の固着性の動物ではこうした変化がもっと明瞭に見られる。たとえば水中のプランクトンや有機物を食べているウミトサカと呼ばれるサンゴの一種やウミシダ、ナマコの一種、テヅルモヅルというクモヒトデの一種などは、潮の流れがないときには小さく縮んでいるが、潮が流れ出すととたんに伸び上がったり、腕を広げたりして餌を食べ始める。
潮の満ち引きは地球と月が引き合う引力と遠心力が元になっているが、この力は地球上の場所で異なる。そうした影響を受けにくい閉鎖された海、たとえば日本海や地中海では小さくなる。小さな国である日本でも太平洋側の干満の潮位差は2㍍以上にもなるのに対し、日本海側の干満の差はほんの20㌢前後しかない。
ただ、魚が釣れるには潮の動きが速ければ速いほどよいのかといえば決してそうではない。確かに大潮前後はよく釣れる潮回りといわれるが、それは潮が動いている時間が長いからであろう。逆に「潮がわるい」潮回りとは、潮があまり動かない小潮回りである。「潮(の動き)がわるい」ことによって魚がその場にいなくなっているか、食いがわるいのである。アングラーは「潮が動いていなかった」ことを釣れない理由によくするが、確かにそれは十分な理由になり得るわけだ。
また、釣りには釣りをする際の「潮の高さ=潮位」も大事である。たとえばヒラスズキの釣りだと基本的にサラシの中を狙うのがセオリーだが、地形的に魚がつく場所が干潮時のみに形成される場合だと満潮時にはその場所は海の中になる。そこにサラシができなくなる。そうした場所だと魚は満潮時に餌場をかえるか、その時間帯には寄りつかなくなり、釣り場としての機能を果たさなくなる。もちろん、この逆のパターンもあり得る。この場合には「潮(の高さ)がわるい」ことによって魚が釣れなくなるのである。
次に潮流である。潮流は潮の満ち引きによって作り出されるものと、もっと大きな地球規模で作り出される海流の2つがある。たとえば、瀬戸内海の入り口の鳴門の渦潮などは潮の干満が作り出す潮の代表だ。干満の差によって海面に高さの違いができることで高い方から低い方に流れができる。大潮で潮が大きく動くときには潮流は長く激しくなり、潮の干満差が小さいときには潮流は弱く短くなる。潮流は先に述べた干満による潮の動きが目に見やすい形で現われたものということができる。
潮流の有無は釣果に影響するが、海の中には実はもう1つ別の潮流がある。それが海流で、日本の近くでは黒潮やその枝分かれである対馬暖流、北からくる親潮が有名だ。
これは潮汐とはまったく関係のない海の流れで、規模的にも潮汐が原因でできる海の流れの比ではない。たとえば、黒潮とアマゾン川はどちらも幅100㌔もある大きな川だが、その深さは子供と大人どころの違いではない。黒潮は深さ1000㍍以上に及び、流量は150倍もあるという。この海の川が海岸に接するところでは、川の流れ具合によって水温や水中透視度、塩分濃度などが著しく変化する。また、その物理的な力によってベイトフィッシュをはじめとするすべての生物が強制的に移動させられてしまう。
また、沿岸水や他の海流との接点は潮目となり、そこに大量のプランクトンや魚たちを集結させる。つまり海流は魚をはじめとする生き物たちの生活環境を劇的に変化させてしまうモンスター潮流なのである。だから紀伊半島の先端などでは黒潮の流路が少し変化しただけで水温が数度も変化し、海の色がコロリとかわってしまう。当然、そこにいる魚たちの食いもつき場所もガラッとかわってしまうのだ。
そんな意味で海流の影響下にある地方では、その動きが釣果に直結するのである。たとえば私のホームグランドである串本などでは、潮が西から東に向かって流れる下り潮が最高の潮である。この潮が流れ出すと水温が上昇して岸近くに潮目が発生し、プランクトンやベイトの小魚が磯付近に集結して青物やヒラスズキなどの活性が上がる。逆に黒潮が沖合に蛇行するなどして沿岸流が東から西に流れる上り潮になると水温は下降し、岸近くのベイトフィッシュは散逸して大型魚の活性が低下することがしばしばである。
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