黒潮の蛇行はいつまでつづく?|【知っていたからって釣れるわけじゃないけれど… その3】
黒潮の蛇行が間もなく2年を迎えようとしている。世界で最も大きな海流の1つである黒潮は、昔から四国沖から大きく南に迂回する流路をとることがある。これが黒潮の大蛇行と呼ばれる現象で、日本の太平洋岸の海に大きな影響を与えるから…
文:宇井晋介
黒潮蛇行の理由
黒潮の大蛇行がどうして発生するかは、はっきりとした理由はないという。タバコの煙は上に向かうに従ってユラユラと左右に揺れるが、この揺らめきのようなものと考えればよい。ただ、そのでき方はほぼ解明されており、宮崎県の沖あたりにできた小さな渦の塊が日本の太平洋沿岸をゴロゴロと転がるように東に移動し、最終的に静岡県の沖あたり停滞することによる。
こうなると渦はどんどん大きくなって黒潮の流れはどんどん沖へ出てしまい、紀伊半島などでは遙か遠くを黒潮が流れることになってしまう。黒潮は南から暖かい水を運んでくるので、黒潮が離れてしまった沿岸の水温は低下し、透視度も低下し、潮の動きもわるくなってしまう。
黒潮の大蛇行は大昔からある自然現象
今年はアオリイカがあまり釣れなかったり、青物の調子もよくなかったりで、すべて黒潮の蛇行が犯人のようにいわれている。それらすべてが黒潮蛇行の影響ではなかろうが、釣り不振の大きな原因の1つであることには違いはない。
ただ、この大蛇行、別に今に始まったことではない。大昔からある自然現象なのである。蛇行は遙か沖合で起こる現象なので、実際に黒潮がどこをどう流れているのかを見るには現場に行ってみるしかない。これは船で観測する以外に、現在では人工衛星などから観測できるようになった。
ところが昔はそのような計測方法も観測船もなかったので、1960年ごろから昔の記録は少ない。ところが、沖に出なくてもこの蛇行を推測する方法が1つだけある。それは和歌山県の先端、串本と紀伊勝浦にある場所で、潮の高さを測ることである。黒潮は西からやってきて東へ抜けていく潮流で、岸に近いときには紀伊半島にぶつかるように流れている。このときに、岸に直接ぶつかる串本町西岸(観測場は串本町袋港)では流れの圧力で海面が高くなる。一方、紀伊半島の東側(観測場は紀伊勝浦町浦神)では海面は低くなるので、海の高さに違いが出る。黒潮が岸に近い場合、ときに30㌢以上も高さに差が出る。
ところが、蛇行が始まるとこの差はほとんどなくなる。それは西からの圧力がなくなると同時に、東側は伊豆沖で反時計回りの渦となった流れが東から海面を押し上げるからである。この差を観測することにより、実際に目で見なくても、蛇行が発生ししていることが分かるのだ。それによると、1950年代以前でも大蛇行は観測されており、あの有名なペリー提督が日本にやってきたときも、遙か沖合で黒潮を観察した記録があり、この年も蛇行の年だったといわれている。
では、詳しい資料が残る1960年代以降ではどうか。1960年代以降の大きな蛇行は6回。中でも、1975年から1991年までの間では、実に4回蛇行が発生。特に1975年から1980年までの蛇行は実に5年間も続いた。
しかしながら、1992年以降は蛇行が激減。実に20年以上に渡ってほとんど蛇行は観察されなかった。唯一蛇行が見られたのは2004年。ただ、このときはわずか1年足らずで蛇行が解消し、再び黒潮の接岸傾向が続くことになった。私たちは潮岬沖をごうごうと流れる黒潮のここ20年ほどを見続けてきたがゆえに、それが当たり前と感じているが、実はここ20年は逆に珍しい時期であったのだ。
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