「水清ければ魚棲まず⁉」自然の持っている絶妙なバランス感覚|知っていたからって釣れるわけじゃないけれど…《アーカイブ from 2012》
海の生物が減少している原因としては、いろいろな説がある。ただ、水質にしろ水温にしろ、ほんのちょっとした変化が大きな変化を与えるのが自然の怖さ。自然の持っている絶妙なバランス感覚にはただただ舌を巻くしかない…
文:宇井晋介
※このエッセイはSWマガジン2012年11月号に掲載されたものです。
魚は美しい水だけを好むわけではない
「水清ければ魚棲まず」という言葉がある。これは人間があまり潔癖過ぎると回りに敬遠されて孤立してしまう、という意味のことわざである。
確かにあまりに真っ正直で正論ばかりいう人は、何となく煙たがられて近寄りがたい存在となって浮いてしまうことが多い。潔癖も清廉も程度しだいなのである。もっとも最近では逆に水が濁り過ぎて棲めないような政治家がわんさかいるが。
このことわざ、ご承知のようにもともと海や川があまりにきれい過ぎると魚が棲めないという事実(‼)からできた言葉である。私たちは何となく「魚はきれいな水が好き」で「水が濁ると魚は死んでしまう」と思い込みがちである。実際、子供のころに金魚の水を交換し過ぎてしまい、殺してしまった経験をお持ちの方も多いだろう。そう、魚は決して美しい水だけを好むわけではないのである。
こんなことを書いたのにはわけがある。以前、ネット上で文献を捜していたときにこの言葉に出会ったのである。それは瀬戸内海の魚についての報告であった。
近年、人間の生活排水などの浄化が急速に進んで瀬戸内海が貧栄養となり、魚の餌となるプランクトンが減ったために魚が減少してしまったというのである。農林水産省の統計によると瀬戸内海の漁獲量は1982年の46万㌧をピークに減少し、2010年には17.5万㌧まで落ち込んでいるそうである。特に名産のイカナゴは6分の1、アサリは190分の1に減少したという。
瀬戸内海といえばかつて悪名高き赤潮が頻発していた海であり、私も何度か飛行機から赤く染まる光景を見たことがある。養殖魚は赤潮の毒や酸欠によって続々と死亡し、多くの生物も赤潮に殺された。
それに懲りて環境省は世界でも類を見ないほどの厳しい排水基準を設定し、企業や国民に徹底させてきた。工場排水はいうにおよばず、屎尿処理場やゴミ処理場なども徹底的に見直し、自然界に「汚れたもの」を出さないようにしてきた。
そのおかげで、たとえば瀬戸内海の水中透視度は1970~90年ごろに比べてずっとよくなった。ちなみに、大阪湾の透視度は3㍍から6㍍に上昇したという。また83年に1㍑あたり0.34㍉㌘だった瀬戸内海の海水中の窒素量は、近年では0.14㍉㌘にまで減少している。確かに田舎の串本で育った私は子供のころ大阪の海へ遊びに行って、その真っ黒な色に驚いたものである。
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